カウントダウン

誰にも期日はわからない

旧友と知人

大学時代は寮生活をしていた。 寝食を共にした仲間なの中には、気が合って未だに連絡を取り続けている人もいる。コロナ禍の前には、一緒に旅行に出かけた元寮生いるくらいだ。 今回の転移の件は、その友達には伝えた。 そして、当時同室だった寮長にも、考えた末に伝えることにした。最初のLINEで伝えた時には、「ショックです。私に何ができるか考えます」と返事が来た。ショックなのはわかる。私も逆の立場なら同じことをまず感じただろう。本人に言うかは別にして。続く「何ができるか」については、違和感があった。私は何かを期待して、伝えたわけではない。ではなぜ伝えたかったのか。たぶんそれは、痛みに共感し、辛さを理解してもらいたかったのだと思う。 勝手な言い草かもしれないが、人に伝えることは自分に言い聞かせることにもなり、人によっては心が落ち着くからだ。かと言って、誰でも良いわけではない。却って心が荒むこともある。 今日になって再び寮長からLINEが来た。寮長は言った。「寮の同期のみんなに伝えても良いだろうか」と。これには愕然とした。それが私にできる何かだと、寮長はなぜ思ったのだろう。逆になぜ伝えても良いと私が言うと思ったのか。理解に苦しむ。 卒業してかは、既に20年近く経つ。 その間、一度も連絡をしていない人の方が多い。 そんな人たちに知らせて、一体何になるのか。 ワイドショーのように、話のネタにされて終わるのではないのか。 私は少し考えてから寮長に返信した。 「伝えたい相手には自分で伝えるから、お気遣いは無用です」と。 たったこれだけのことなのに、やけに心がささくれた。 私の甘えが引き起こしたことだ。 また1人心が離れた人ができてしまった。

骨転移と頻尿

7月末にかかりつけの乳腺病院に行くことになったのは、一番最初のブログ記事の通りだ。股関節の痛みから子宮癌を疑い、レディースクリニックに訪れた際に、看護師さんから骨転移を疑った方がいいと言われたからだった。

私の知識不足で、股関節痛や腰痛が骨盤への転移に結びつくとは知らなかった。

先生からは「背中が張ったり、痛みが出たりしていませんでしたか?」とも聞かれた。

これもその通りで、右の肩甲骨周辺にいつも凝りを感じていて、鍼灸院にしばらく通っていた。どうやらこれも、肩甲骨への骨転移のせいだったらしい。

ここまではまだ理解できた。

先生は他に「おしっこの回数が増えましたか?」とも。実は、今年に入ってからトイレに行く回数が増え、時には30分に一度行っていた。もしかしたら泌尿器に問題があるのかもしれないと、地元の病院を受診したこともある。

先生にその旨を伝えると、深く頷いてから、「骨転移して骨が溶け出すと、体内にカルシウムがたくさん流れ出して、おしっことして排出されるため、回数が増えるんですよ」と。

これには心底驚いた。

最近の体の不調すべてが、骨転移のサインだったのだ。

それなら、初発の時に言って欲しい。

乳がんは骨に転移しやすいこと。

転移すると頻尿になること。

腰痛や肩こりなどが長引いたら、整形外科に行って、骨転移の有無を調べること。

私はどれも先生から事前に聞いたことはない。

先生がおっしゃっていたのは、術側の反対側への転移の可能性だけだ。だから、エコー検査や触診が主だったし、全身のレントゲンを乳腺病院で撮ったことはない。

今更言っても始まらない。

でも、乳がん経験者には知っておいてもらいたくて書いた。

たかが凝り、たかが頻尿とは思わずに、必ず乳がんのかかりつけ医に伝え、専門医の検査を受けることだ。

町医者では当てにならない。

私はそれを骨身に染みるほど学んだ。

生きること

骨転移の告知をされた時、自分は長く生きられないのだと感じて、なぜか私はホッとしたんだ。今の家族が嫌いなわけじゃないけど、将来に対してすごく不安があって、その不安要素がなくなったからだろうか。背負わなくていいんだなと思ったら、安堵してしまった。

私は3人兄弟の真ん中だ。

兄は、20年ほど前から統合失調症になり、入退院を繰り返している。弟は、生まれた時からいわゆる知的障害者で、施設に入って作業をしている。

両親は健在だが、2人がいなくなったらと考えると、どうしても平静ではいられない。

告知をされた夜、翌日の検査のために1人ホテルに泊まっていたら、自分が情けなくなった。自分のしたいことを優先して、結婚さえ私はしなかった。一生懸命育ててくれた親に、そんな私ができる親孝行なんて老後の世話をすることくらいなのに。私はそこからも逃げようとしていると思い、号泣してしまった。死ぬのが怖いとか病気が辛いとか、そういう感情はわかなかった。ただ、申し訳なくて泣いた。

今、ランマークが効いて、痛みが軽減して来て、自分の想定よりは長く生きられる可能性が出てきた。それなのに、心から喜べないでいる。馬鹿だな、私は。

まだ死が近づいていないから、そう感じるんだろうか。自分でも自分がよくわからない。

一時期、心が病んでいた頃の私の願いは、猫になることだった。猫になって、優しい飼い主に出逢い、10数年守られて生きて死んでいく。そんな一生を夢見ていた。友人に言ったら、「親を見送りたいとは思わないの?」と言われた。

今人生のターニングポイントに立つことになって、再び考えさせられている。

私は生きたいのか、生きたくないのか。

何をしたくて生きるのか。

今の私に、何ができるのか。

みんなは、悩まないのだろうか。

 

ミス

医療ミスという話をよく聞くが、病院に通うようになってから先生たちのミスに出くわすたびに、手術ではミスしないでよ…と思わずにはいられない。

 

ケース1 データのミス

先生「数値、悪くなってました。薬を見直す必要がありそうですね」

私「そうなんですか? 体調は良くなってるんですが。ちょっと見せてください。…これ、逆じゃないですか?」

先生「ほんとだ。前回と今回逆に見てた。良くなってます。このまま様子を見ましょう」

 

ケース2 伝達のミス

師長「どうして今日来たんですか? にゃーさんの入院日は来週ですよ」

私「手術日は明日だから、今日から入院だと聞いていたんですが」

師長「来週に変更になったんですよ。先生が自分から伝えるっておっしゃってたんですが」

私「…聞いてません」

師長「どうしましょう。ベッド空いてるから、今日から入院しときますか?」

私「来週また来ます」

 

ケース3 同意書のミス

先生「じゃあ、確認してここにサインしてくださいね」

私「摘出箇所が卵管と子宮になってますが、卵巣も取るんじゃなかったんですか?」

先生「あ! 卵巣を取るための手術だったね! ごめんごめん」

 

ケース4 指定日ミス(今回)

先生「じゃあ、注射しようか」

私「はい、お願いします」

先生「前回は…3日だったよね。あれ!? まだ3週間しか経ってない??」

私「はい、3週間です」

先生「ランマークは4週間後に打つんだよね。今日は打てないから来週また来てね」

 

というわけで、今日は病院に4時間かけて行き、先生の勘違いだとわかり、また4時間かけて帰ることに。…つらい。

ちなみにこれらのケースは先生3人のもの。みんなしっかりして!

お薬手帳

病院に頻繁に通うようになってから、お薬手帳の出番が増えた。携帯するのが当たり前になった頃、気になることが出てきた。

一つは素材。

表紙が紙でできているんですよね。私はバッグの中で物が迷子になるタイプなので、よく折れたり水でふにゃふにゃになったりしていました。

次にデザイン。

薬局によって表紙デザインが違う。言い方悪いですが、当たり外れが激しい。常に持ち歩くのに、手にするたびにテンションが下がる。

その解決策として、私はカバーをつけることにしました。最初は100均のカバー。これだけでも、気持ちが全然違う。しかも、いつでも気が向いたらカバーなら変えられるし、それが気分転換になる。

病院で見せた時に看護師さんから、「こんな素敵なお薬手帳を配布しているとこあるんですね」と言われたことも。「自分でカバーつけたんですよ」と伝えたら、「私もやりたい!」とおっしゃってました。

そんな私の今のお薬手帳。可愛くないですか?

明智光秀推しというわけではないんですが、デザインに一目惚れしました。武将カバーはまだまだ種類があるので、他のも手にしてみたい。

今は、これにコロナワクチン接種証明書も挟んで携帯しています。f:id:inya:20210824115759j:image

 

 

PET検査

レントゲンで骨転移が発覚した翌日、私はPET検査を受けに行くことになった。自宅からだと片道4時間かかるため、病院近くのホテルに一泊した。文字通り一睡もできなかった。せめてモーニングを楽しめれば良かったのだが、検査の6時間前には食事を済ませろと書いてあったので、それはできない。悔し紛れに夜中3時にコンビニに行って、食べたいものを片っ端から買ってやった。チキンパスタやら納豆巻きやら、果ては酢だこやミミガーまで。さすがにビールはやめたけれど、好きなだけ食べてから病院へ向かった。

そこはPET検査だけをする病院らしく、中にいるのは同じ検査をする人のみだ。受付で問診票への記入を求められていると、隣におじさんが立った。

受付の方が笑顔で尋ねる。

「こちらは初めてですか?」

おじさんは言った。

「こんな検査、何度も受けてたまるかよ!」

素晴らしい返しだ。

思わず「そうですよね!」と言いたくなったが、我慢して待合室のソファに座る。真前にあるスクリーンには、水泳が流れていた。そういえば、オリンピックが開催していたなあとぼんやりと眺めながら待つ。

やがて名前を呼ばれて問診となった。落ち着いた雰囲気の女医さんがいくつか説明をし、質問もされた。淡々と応答していたら、いきなり先生の顔色が変わる。マスク越しにもわかる表情の変化にびくついていると、

「朝の3時に食事したの??」

と聞かれた。笑って誤魔化すしかない。

その後、検査室に向かったのだが、まるで近未来の宇宙ステーションのようだった。スマホが持ち込めず、撮影できなかったのが惜しいくらい。静まり返った検査場は、塵一つないのではと思わされるくらいに浄化されていた。

着替えを済ませ、スリッパを2度履き替えて2階に上がり、注射を受けて待つこと1時間。ようやく検査が始まった。巨大な筒状の機械に入り、微動だにしないまま30分。大きな音がしていたというのに、昨夜寝ていなかったおかげか熟睡していた。

その後、薬が抜けるまで別室で30分待ち、再び着替えて娑婆世界へと帰った。

検査費は3割負担のため、約3万円。高い。

リュープリンよりも高いものがあったとは。

結果として、恥骨と坐骨の他に、右肩甲骨の転移を発見できたから良かったのかもしれないが、どうせ3万使うならもっと楽しいことに使いたかったと思った。

通院

今日のお昼くらいから術側の脇や鎖骨のあたりに違和感がある。リンパに何かあるんじゃないかと不安になり、病院に電話をした。

受付の方にその旨を説明し、明日受診したいと告げる。すると「担当の先生は、明日は来ないので今日来てもらえますか?」とのこと。

時刻は13時。受付終了は15時半。

市内なら余裕で間に合うのかもしれない。しかし、あいにく私は市内には住んでいないのだ。試される大地は、こういう時にネックになる。

「うちから病院まで片道4時間かかるので無理です」と伝えると、「では、来週水曜日に来てください」と言われた。

不安なまま6日も待つのかと思ったが、タイミングが合わないのなら諦めるしかない。6日で悪化することがないことを祈るばかりだ。

今はまだ雪がないから良い。これが真冬になるとさらに通院が難しくなる。吹雪けば交通機関が止まるし、足の悪い私には道中がつらい。

ランマークは4週間に一度打たなければならないが、冬季は近場の病院で注射してもらえるそうだ。問題は痛み止め。今後、麻薬系の薬にシフトした場合、配送ができないため処方するには何らかの対処が必要になる。

将来的には治療のために引っ越さなければならないのかもしれない。時間的にも金銭的にも、その方が楽だろう。

地方住みには通院はなかなか高いハードルだ。