カウントダウン

誰にも期日はわからない

生きること

骨転移の告知をされた時、自分は長く生きられないのだと感じて、なぜか私はホッとしたんだ。今の家族が嫌いなわけじゃないけど、将来に対してすごく不安があって、その不安要素がなくなったからだろうか。背負わなくていいんだなと思ったら、安堵してしまった。

私は3人兄弟の真ん中だ。

兄は、20年ほど前から統合失調症になり、入退院を繰り返している。弟は、生まれた時からいわゆる知的障害者で、施設に入って作業をしている。

両親は健在だが、2人がいなくなったらと考えると、どうしても平静ではいられない。

告知をされた夜、翌日の検査のために1人ホテルに泊まっていたら、自分が情けなくなった。自分のしたいことを優先して、結婚さえ私はしなかった。一生懸命育ててくれた親に、そんな私ができる親孝行なんて老後の世話をすることくらいなのに。私はそこからも逃げようとしていると思い、号泣してしまった。死ぬのが怖いとか病気が辛いとか、そういう感情はわかなかった。ただ、申し訳なくて泣いた。

今、ランマークが効いて、痛みが軽減して来て、自分の想定よりは長く生きられる可能性が出てきた。それなのに、心から喜べないでいる。馬鹿だな、私は。

まだ死が近づいていないから、そう感じるんだろうか。自分でも自分がよくわからない。

一時期、心が病んでいた頃の私の願いは、猫になることだった。猫になって、優しい飼い主に出逢い、10数年守られて生きて死んでいく。そんな一生を夢見ていた。友人に言ったら、「親を見送りたいとは思わないの?」と言われた。

今人生のターニングポイントに立つことになって、再び考えさせられている。

私は生きたいのか、生きたくないのか。

何をしたくて生きるのか。

今の私に、何ができるのか。

みんなは、悩まないのだろうか。