カウントダウン

誰にも期日はわからない

人体実験と賭け

8月から打ち始めた骨修飾薬、ランマーク。 もう4度目になった。3回目の接種からは、腕ではなくお尻にしてもらっている。射した瞬間は痛くないが、薬剤を入れている間が痛くて、お尻のほうが楽だと聞いてそちらに。でもやはり痛い!

ランマークは、3週目くらいから私は効果を実感した。それまで歩くどころか寝返りも痛くて熟睡できなかったのに、今は杖なしで旅行を楽しむことさえできる。肩甲骨の方も痛くないから、パソコン作業も苦痛ではなくなった。飲んでいた痛み止めも休薬するまでになった。

ただ、ランマーク。 いいこと尽くめではない。 副作用があるからだ。顎骨壊死の危険は常日頃から言われていて、なるべく口腔内を清潔にしている。しかし、それだけではないらしい。

先生「使い続けていると大腿骨が折れることがあるから気をつけてね」

私「折れる!?どうやって気をつけたら…」

先生「痛みが出たら整形受診して、僕にも連絡ください」

……怖い。 過去に「稀に胸のエキスパンダーが壊れることがありますが、まずないですので」と言われたのに破れたことがあった。「リュープリンは過去に一度もアレルギー反応が出た人はいません」と言われたのに、アレルギーで使えなくなった。そんな私が、これらの副作用を免れることはできるのだろうか。 それでも痛みを我慢する日々には替えられない。

人体実験しながら、賭けてみるしかない。 不安は一生付きまとうのだろう。

猫へ

あなたと出会ってからちょうど12年経ったね。 初日は新しい環境を怖がって、ベッドの下から出ないまま、一晩過ごしてた。心配になって友人Aにも来てもらい、あの手この手で誘っても、水もごはんも食べてくれなかった。臆病なのに頑固なところは、小さい頃から変わらなかったね。

震災の時には、一緒に怯えながら逃げたね。最初の揺れの後、ベッドの隙間にはまって動かないあなたを見た時には、死んじゃったと思った。生きて、息をしているとわかって、私はすぐに抱き上げて、潰れそうなアパートから連れ出したよね。普段は乗り物が大嫌いなのに、暴れず泣かず、ずっと大人しくしていたね。

病気を機に実家のある北海道に帰る日は、稀に見る悪天候で、揺れる機内であなたは一人、どんなに不安で怖かったんだろう。家に着くまで硬直していたね。家には先住猫が2匹いたから、あなたにとっては居心地が悪かったかも知れない。最初の1か月くらいは、私の部屋から出ようともしなかった。ほんとにあなたはこうと決めたら譲らないよね。

私が乳がんの手術を受ける時は、当初2週間の予定が4週間入院することになり、あなたと離れ離れになったね。ようやく退院してあなたに会った時、私は驚いたよ。目を丸くして、私に恐る恐る近寄り、後ろ足だけで立ち上がって顔を確認してた。きっと、私はもうこの世にはいないんだと思っていたんだね。

それからインプラント交換、乳頭再建と手術で入院が多くなったけど、あなたがいたから早く帰ろうと頑張れたよ。

あなたが不調になり、走ると息切れするようになり、あまり遊べなくなったよね。それなのに、出先から帰ってきた私をいつも、走って迎えにきていたね。私はその度に心配しながらも、とても嬉しかった。

あなたの余命宣告を聞いた時、私はシャワーを浴びながら号泣したよ。あと10年は一緒にいられると思っていたのに、3か月なんて。 それでもあなたは、頑張って生きたよね。

つらい思いも、怖い思いも、痛い思いもいっぱいしているはずなのに、まるで私を心配するように寄り添っていた。母であり、姉であり、時に娘みたいに甘えるあなた。私はいつも救われていました。

病気が進行して血が溢れ出るようになっても、あなたはめげなかったね。左手からの出血が止まらない時には、必死に手を縛って患部を押さえていたけど、暴れずじっとしていたよね。信頼してくれているんだなって、あなたとの絆の深さを知りました。

最近は食が細くなって、液体状のささみくらいしか舐めなかったのに、ここ数日はむしゃむしゃ食べてたね。よく食べ、よく出して、よく寝るあなたを見て、もしかしたら年が越せるのではと思っていたよ。

急変したのは亡くなる1時間前くらいだったね。鼻血が止まらない中、ご飯食べて、水も飲んで、トイレを済ませてから発作が起きた。苦しむあなたに何もできなかった。血を吐きながら、潤んだ目で最後に私を見ながら旅立ったね。 あなたを看取ることが1番の希望だったから、最期まで寄り添えて私は良かったと思ってる。繰り返し絶命の瞬間を思い出すけど、これから先はあなたとの毎日を思い出すようにもなりたい。

私と出会ってくれて、どんな時でも愛してくれて、身も心も寄り添ってくれてありがとう。 あなたは私の人生の宝です。 あなたを残して死ぬのだけは嫌だと祈ってきたから、無事に見送れて私は本望だよ。 もう少ししたら私もあなたのところに行くから、またすぐ会えるね。それまで待っててね。寂しくなったら夢でもいいから会いに来て。いつでも大歓迎だよ。ぬいぐるみをくわえて、「これをあげるから遊んで」って伝えてくるあなたが大好き。 あなたを見習って、最期までめげずに強く生きるね。

レトロゾール

閉経後にしか使えないホルモン剤「レトロゾール」。

リュープリンでもタモキシフェンでも生理が止まらなかった私には必要な治療だとして、まずは閉経にするために卵巣と子宮を摘出した。

そして、退院後に始まったレトロゾール服用。 1日1錠飲むだけだし、薬価もお安い。 副作用も少なく、これは楽ちんだと思った。

しかし、服薬し始めて1週間。 とにかく肩が痛い。めちゃくちゃ痛い。 腕を誰かに引っ張られて、抜かれる時みたいに痛い。いや、そんな経験はないけど。

もしかしたら肩甲骨にあるがんが広がったのでは?と思い、かかりつけの病院へ。

「がん細胞に餌がなくなり、作れなくなったせいで空間ができた。それがぐしゃっと潰れてくっつくから痛いんですよ」

そりゃ痛いわ!

「安静にしていてください。激しい運動をすると折れますから」

ダンベル体操、やめなくちゃ…。

とりあえず、処方してもらっていた痛み止め「トラマール」を2倍にしてやり過ごすことに。もし効かないようなら、放射線治療をするそうです。

なんとかなりますように。

個人情報

今回の病院は、個人情報の扱いが丁寧だった。

まず、病室の前に名前を張り出すかどうか。ここから自分で決めることができた。私の場合、名前がないと自分の部屋を忘れた時に困るので、掲示していただくことにした。

次に電話の取り次ぎ。外線で病院宛にかかってきた場合、私が入院していることを隠した方がいいかというもの。これは、まずかかってくることはないが、何らかの事故が起きて携帯が繋がらない時に困るため、隠さない方を選んだ。

それからシャワーの予約表。入院した病院では、シャワーの予約が取れるようになっていたのだが、その際に本名を書くのが無理であれば承るということだ。これも特に秘する必要を感じなかったため、私は本名にした。

このように、病院側は個人情報の取り扱いに注意していた。しかし、やはり個人情報はどこから漏れるかわからないと、私は今回の入院で学んだ。

私の同室の方は、70代の奥様だった。この方がとにかく喋る。本名はもちろん、住所(〇〇駅の向かいにあるイオンの〇階にある部屋)、出身地、家族構成、飼っている犬の名前。

ここまではまだ許容範囲かもしれない。

次に、長女の氏名、年齢、未婚、勤務先、その所属、出身大学、出身高校。次女の住所、氏名、年齢、出身大学、子供の名前、年齢など。

とにかく、身内に関するあらゆる個人情報が1週間もしないうちにこれだけ漏洩した。調べれば、顔写真やら建物やらFacebookやらがヒットすることは、想像に難くない。

コロナ禍で患者同士の接触を最低限にするようにと言われながらも、これだけ漏洩する。我が身を振り返り、恐ろしくなった。まさか娘さんたちも、母親がここまで漏らしているとは思ってもみないだろう。

入院時の個人情報。 扱いを見直すべきなのは、患者の方かもしれない。

早期退院

入院前には担当医師の方から期間の説明はなかった。乳腺科の医師からは「多分2週間はかかるよ」と言われていた。だが、2週間も入院するわけにはいかない。うちには血管腫で、余命がわずかしかない要介護の猫がいるからだ。毎日どこかしらから出血するような猫を2週間も母に預けっぱなしにはできない。そして、私の1番辛い時期に寄り添ってくれた猫に、今だからこそそばにいてあげたいと思っていた。

今回受ける子宮等全摘手術は、腹腔鏡手術。さっそくググって、退院までの日数を調べる。いくつかのサイトを見た結果、最短で術後5日目とある。5日目なら13日月曜日。私はこれを自身の退院日と決めた。

入院の日。オリエンテーションを受け、最初に渡されたスケジュールでは、7日〜16日まで入院とあった。私が決めた退院日より3日も長い。しかもそれが最短と記されていた。

「何かご要望があれば、ここに記入してください。先生にお伝えします」

看護師の言葉に頷き、書き込んだ。

「なるべく早く退院したいです。可能なら12日に」

私の書き込みを見た看護師が驚いて聞いて来た。

「そんなに早めたいのですね。何か事情があるんですか?」

私はここで考えた。素直に言うべきかどうか。 話してわかってくれる相手ならいいが、もしかしたら「なんだ猫か」と思われてしまうかもしれない。だから私は敢えて秘すことにした。

「ええ、ちょっと家庭の事情で」

「そうですか。私からも先生に掛け合ってみますね」

こうして、まだ手術もしていないのに、退院に向けた交渉が始まった。

手術がてんやわんやのうちになんとか無事終わり、ベッド上安静のうちに背中の麻酔の管や尿の管が外れ、点滴も終わった。 翌朝、検温に現れた看護師が笑顔で伝えに来た。

「先生にお聞きしたところ、12日は診察がないので無理ですが、13日に診察して問題がなければ退院を許可するそうです」

目の前が一気に明るくなった。予定通りだ。

「ありがとうございます!頑張ります!」

そして、私は本当に頑張った。 「腸閉塞にならないように水分を多めに摂ってください」と言われ、毎日2リットル以上水分を摂り続けた。同室の奥様が「味が濃くて食べたくないわ」「ごはんが多すぎるから残す」「代わりにわらび餅食べようかしら」と言う中、何一つ残さず何一つ増やさず、食事をし続けた。 「なるべく動くようにすると体力が落ちなくていいですよ」と言われたので、消灯時間以外はベッドに入らず、椅子に座るか病棟内を歩き回った。

こうして迎えた13日の診察。

「経過順調ですし、退院できますよー」

と言われ、私は何度も頭を下げてお礼を言った。

同じ日に入院手術した同室の方からは「決められた退院日には意味があるのだから、早めるのは体に良くないわ。病気は我慢です。美味しいものを食べたい、遊びたいと思っても、じっと耐えて治さなくちゃ」と言われました。

誰もそんなことを望んではいない。 そんな甘えた気持ちで努力したわけでもない。 わがまま放題、好き勝手しているあなたとは違う。 あなたの物差しで私を測ってもらいたくない。 言いたいことは多々あったが、退院が決まれば私はそれでいい。 同室の方にはただ笑顔で 「そうですね。どうぞお大事に」 と言って、部屋を後にした。

その足で乗り物を乗り継ぎ、急いで我が家へ。

「ただいま、猫さん」

私はようやく、猫に再会できた。 二度と会えないかもしれない。入院中に苦しみ抜き、孤独死させるのならいっそ、と思ったこともあった。 そんな猫と生きたまま、また会えた。 ゴロゴロ言いながらスリスリしてくる猫と寄り添って、私はゆっくり自宅療養する。

卵巣等摘出手術終了

乳がんからの骨転移が見つかり、ホルモン療法も抗がん剤(フルツロン)も効果なし。次の手として、手術で卵巣や子宮を摘出し閉経状態にし、新たな抗がん剤治療を始めることに。 というわけで、7日に入院・8日手術を受けた。 腹腔鏡手術だったため、予定では3時間。背中から管を入れて痛み止めの準備をしてから、全身麻酔で手術を開始すると説明を聞く。 背中からの痛み止めってどんな感じなんだろうと思いながら、点滴をしつつ手術時間を待つ。 予定より30分早く手術が始まることとなり、私より看護師さんが慌てていた。

「弾性ストッキングはこれで大丈夫です、たぶん」

「眼鏡はかけたままでいいはず!」

「準備完了です、きっと」

みたいに断定はしてくれない。 手術室前で手術の看護師とバトンタッチしたが、こちらもてんやわんや。

「こちらへどうぞ」

と足でドアを開けようとしたら違うドアが開き、中で別の手術をしていた先生たちがギョッとしていた。

「失礼しました!」

と看護師が謝罪すると苦笑い。 そんなこんなで手術室にようやく到着した。 一抹の不安を抱いたまま手術台へ。 麻酔担当の先生から前日聞いていた通り、背中にまずは痛み止めの管を入れる作業を開始した。

「最初に麻酔します」

「はい、お願いします」

「リラックスしてください。できないでしょうが」

と言われてる間に2箇所に麻酔を打たれる。 これが今回の手術で1番痛かった。 ということは、術後の痛みはこれ以上なのかと初めて痛みを恐れる。

「管を入れますね」

と言われ、背中から管が入ってくる感覚がある。背中を丸めたまま、まだ?まだ入るの?とびっくりしていると

「次はお腹のほうがごそごそします」

と説明される。 お腹の方まで来るの??と内心驚きながら頷き、じっとしていると、確かにお腹で違和感があった。

「はい、終わりです」

それでようやく痛み止めは終わり、全身麻酔が始まった。 いつの間にか眠りにつき、起きた頃には終わっている。まさにワープ。 目が覚めた時、とにかく気持ちが良かった。 ふわふわして気分爽快で、どこも痛くない。 そのままもう一度寝ようとしたら

「にゃーさん!目が覚めてますか!にゃーさん!?」

と看護師さんらしき人に必死に名前を呼ばれる。まるで雪山での遭難だ。 寝ちゃダメなのかなと思いながら頑張って目を開けて頷き、ストレッチャーで部屋に入るまでは覚えている。 そこから、どうやら私は爆睡したらしい。 あーよく寝たなーと目を覚まし、スマホを受け取って時間を確認したら、手術終了予定時間から既に3時間以上経過していた。 慌ててみんなに手術終了の連絡をし、また懇々と眠った。次に目が覚めたら、更に4時間が経過していた。 翌朝、同室の奥様に

「あなたずいぶんぐっすり眠っていたわね。私眠れなかったから羨ましかった」

と言われるくらい寝た。 たぶん、猫の看病でここ1か月寝てなかったからかな。 というわけで、おかげさまで手術は無事終了。 来週頭には退院する予定だ。

入院準備

昨日は入院前のPCR検査とランマークを打ちに行ってきた。 今朝起きたらまったく股関節が痛くない! 1日でここまで効果出るもの?? ただのプラシーボ効果?? いずれにせよ、痛くないならもうけもんだ。 来週入院するから、今のうちに準備する。 限度額認定証や保険の書類はもうもらってきてあるし、病院で履く靴や下着は買ってきてあるし、あとはキャリーに荷物を積めるだけ。 病院ではCS頼むつもりなので、荷物はほんとそのくらいで済む。ボストンバッグでもいいんだけど、病院内でもなるべく荷物を担ぎたくないのでキャリーに。 詰め終わったらクロネコさんに頼むぞ。